褒美があるのか
大人になってまで胸を焦がして時めいたり傷付いたり慌ててばっかり
あの人に愛して貰えない今日を正面切って進もうにも難しいがしかし
実感したいです 喉元過ぎればほら酸いも甘いもどっちもおいしいと
これが人生 私の人生 鱈腹味わいたい 誰かを愛したい 私の自由
この人生は夢だらけ
(人生は夢だらけ/椎名林檎)
つらい仕事にご褒美のないときも
惚れた人が選んでくれないときも
不幸だった訳がわかっている今は
損しただなんてまるでおもわない
あの世でもらう批評が本当なのさ
デートの夢は永い眠りで観ようか
最期の日から数えてみてほらご覧
飛び出しておいで目抜き通りへ!
(目抜き通り/椎名林檎とトータス松本)
その感情を意味する単語を使わないことで、
むしろ、その感情を際立たせていると思う。
思い通りにはならないことの方が多い人生、
切ない想いは胸に秘めて、楽しく生きよう。
そう思わせてくれる感じがまた一層切ない。
やっぱ、言っちゃうと安っぽいんだよなあ。
輪郭をなぞって、想像させるからいいのだ。
何かとトラブルの起こりやすい職に就いている。というかトラブル未然防止と回収がほとんどで、それがなければそもそも要らない仕事なのかもしれない。
ではトラブル対策のプロフェッショナルとして在るのかと言うと、そういうわけでもない。何か資格や権威があってみなが言うことを聞いてくれるわけでもないし、問題は起こればどんどん立場を追われるけれども、問題を起こさなかったとして、その仕事を褒められることもない。
ある側面では、こういう仕事が向いていないこともないと思わされる。まずは謝るということに変なプライドは邪魔しないし、誰かがトラブルを起こしたとして、それを執拗に責めるような人格も持ち合わせていない。トラブルがあって、結果、信頼関係が築けたという経験も少なくない。
でもやはりトラブルはトラブルである。笑い話にできるうちはいいけど、いつか取り返しのつかないことを起こす可能性もある。何より、大きな組織である以上、極端な言い方をすると、決して自身に起因するものではないことですら対応を迫られる場合もある。これはなかなか身に染みるものがある。
ありがたいことに、若くして出会ったお客様のほとんどと良好な関係が築けた。失敗を挽回する機会を快く与えてくださったり、人生の先輩としてお酒をご一緒させてもらえたり、とある会社の担当者、ではなく、一人の人間として関わってくださった方々ばかりであった。なかなかそんな風にばかりも生きられないことも、最近少しずつ実感し始めている。
トラブルの多いこの仕事を、経験や学びとして、納得して受け入れられるうちはいいが、その糸が切れてしまうことを恐れている。結果、温かい人に出会えることは、運に左右されすぎる。だから、自分の今行っていることを、もっと俯瞰的に眺めたくて、経営の勉強を始めようと思い立ったのかもしれない。
つらい仕事の本当のご褒美は何なのか。
勉強が終わる頃には、自分なりに納得の行く理由がほしい。
その言語らしさ
その言語らしさを考えている時間が好きだ。
長年の英語教育を通じて、言語の学び方を教わったのだとすると、
本当は前記事で書いたような「
きっかけは正に今のこの生活の中にある。英語で言いたいけど、
親しき仲の礼儀
昨夜、お酒をご一緒した先輩が、
「言葉遣いがちゃんとしててええなあ。どっかで鍛えたんか?
大事なことやで。」
お客様に好かれるその人間性もまた、
この会社の魅力のひとつにになるんやで。
と嬉しそうにおっしゃっていた。
言われるまで意識したこともなかったが、
改めて考えてみると、他人の言葉遣いを、
常に気にして聞いている自分に気がつく。
~のこと?(ですか?)
~でしょ?(ですよね?)
言葉遣い、ほんの一言の最後の数文字で、
与える印象は大きく変わるものだと思う。
どれだけ親しくとも覆せない人生の先輩。
端的に礼儀を示す上で、言葉遣いは大事。
まず言葉遣いを正した上で(規定演技)、
表現や表情で親しさを示す(自由演技)、
そういう考え方をしていることに気付く。
長い接客業の経験が鍛えてくれたのかな。
いつかに夢中で取り組んだ経験が生きる。
こういう実感ができる時間が幸せである。
これからも大事にしていこう。
手間暇かけたい
この世にあって欲しい物を作るよ 小さくて慎ましくて無くなる瞬間
こんな時代じゃあ手間暇掛けようが掛けなかろうが終いには一緒くた
きっと違いの分かる人は居ます そう信じて丁寧に拵えて居ましょう(人生は夢だらけ/椎名林檎)
モノづくりを謳う会社に入って早7年。
自分ひとりでは決して形にはできない、
大きな大きなモノづくりの一員として、
日々あくせくと働かせてもらっている。
さまざまな役割を持つ人達が集まって、
それぞれの掌握範囲を、淡々とこなす。
「自分ひとりではできない」ところに、
魅力を感じて、続けているのだと思う。
浪漫のある仕事だ。なかなか癖になる。
自分ができることは極々限られている。
スケジュールの管理と、品質の確認と、
後はみんな気分良く働いてくれるよう、
愛想を振りまくこと。それもまた一興。
お客様に、上司や同僚に、働く仲間に、
人に喜んでほしい、ただそれだけだが、
それが程遠いなあと感じる日々が続く。
組織として動くことはかくも難しいか。
確かにそうであるとは分かっているし、
そうでもなかった実感も脳内にはある。
これはただ収入を得るための手段だと、
それで十分と割り切るべき場面も多く、
でもその都度、本当にそれでいいのか、
残りの人生もそうして生きて行くのか、
考えなければ楽なのに、考えてしまう。
定年退官する恩師へ記念新聞を作ろう、
旧友がそんな話を持ちかけてくれた時。
昔の仲間の結婚式に贈り物か考える時。
その人とどんなことを共有してきたか。
好きなことや得意なことは何だったか。
何を教わったか。どこを尊く感じるか。
どんな風に表現の手法と言葉を使えば、
この精一杯のありがとうが、伝わるか。
その時々の現業の忙しさとは無関係に、
どんどん熱量が上がって行く。楽しい。
やっぱり手間暇を掛けたい。
そんな生き方をしていたい。
人生は夢だらけ
実感したいです 喉元過ぎればほら酸いも甘いもどっちもおいしいと
これが人生 私の人生 鱈腹味わいたい
誰かを愛したい 私の自由
この人生は夢だらけ
痛感したいです 近寄れば悲しく離れれば楽しく見えてくるでしょう
それは人生 私の人生 誰の物でもない
奪われるものか 私は自由
この人生は夢だらけ
(人生は夢だらけ/椎名林檎)
31歳日本人男、米国勤務を始め、そこで元気なお婆ちゃんに出会う。
70歳ながらぴんしゃんとした彼女は、既に大学を4回卒業しており、
「人生あと25年、やりたいことだらけで時間が足りない。」と言う。
70歳があと25年と言っているのに31歳が夢を見ないでどうする。
反省させられる。
30頭に日本の外で仕事をできているなんて、想像もしていなかった。
半分は環境のお陰で、半分はそれを選びとってきた自分の努力の結果。
もっと欲張れば、もっとおもしろい人生を味わえる気がしてならない。
広い世界をもっと知りたい。
たくさんの人と出会いたい。
大事な人に何かを贈りたい。
まずは一歩踏み出さないと。
「MBAの勉強でもされてみたら?」
元気なお婆ちゃんに唆されて、挑戦してみることにした2017年冬。
勤めながらの勉強は楽ではなく、この先何年かかるか分からないので、
第三者に見られている感覚を持ち続けるために、ブログも始めてみた。
この先、同じような道を選ぶ人がいた時に、参考になればいいと思う。